大判例

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福井地方裁判所 昭和56年(ワ)267号 判決

原告

吉村重高

原告

吉村行広

右両名訴訟代理人弁護士

加藤良夫

乙部幸市郎

被告

相模病院こと

相模嘉平

右訴訟代理人弁護士

杉原英樹

被告

社会福祉法人

恩賜財団済生会

右代表者理事

藤沢正清

右訴訟代理人弁護士

野村侃靱

主文

一  被告相模嘉平は、原告吉村重高に対し金九八〇万三九四七円及びこれに対する昭和五二年九月一八日から、原告吉村行広に対し金一二八〇万七八九五円及びこれに対する昭和五二年九月一八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告相模嘉平に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告社会福祉法人恩賜財団済生会に対する各請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告らに生じた費用の一〇分の八と被告相模嘉平に生じた費用を同被告の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告社会福祉法人恩賜財団済生会に生じた費用を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)(主位的)

被告らは、各自、原告吉村重高(以下「原告重高」という。)に対し金一三〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月一八日から、原告吉村行広(以下「原告行広」という。)に対し金一六〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月一八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)(予備的)

(1) 被告相模嘉平(以下「被告相模」という。)は、原告重高に対し金一三〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一一月一四日から、原告行広に対し金一六〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一一月一四日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(2) 被告社会福祉法人恩賜財団済生会(以下「被告済生会」という。)は、原告重高に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一一月一四日から、原告行広に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一一月一四日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告相模

(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告らの負担とする。

2  被告済生会

(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 原告重高は、昭和五二年九月一八日に死亡した亡吉村薫(大正一三年五月三日生。以下「薫」という。)の夫であり、原告行広は、原告重高と薫の間の唯一の子である。

(二) 被告相模は、肩書住所地において、「相模病院」を開設し、内科、外科及び産婦人科の診療に従事している医師である。

(三) 被告済生会は、社会福祉の増進を図ることを目的として、全国にわたり医療機関及びその他の社会福祉施設を設置して各種の社会福祉事業を行う法人であって、福井市中央二丁目八番六号に、「福井県済生会病院(以下「済生会病院」という。)」を設置し、診療業務を行っているものである。

2  薫の死亡までの経過

(一) 第一回目の脳動脈瘤の破裂

(1) 薫は、昭和五二年七月二五日午後八時過ぎころ、畑仕事の最中に脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血により、激しい頭痛、嘔吐を伴って倒れた。

(2) 薫は原告重高に連れられて相模病院へ行き、被告相模の診療を受けたが、被告相模は、発病状況等について丁寧な問診をすることもせず、単に急性胃腸炎(食当り)であると誤診して、胃腸炎に対する処方、処置を行った。

薫は、翌七月二六日から同月二九日まで連続して相模病院に通院して頭痛を訴えたが、被告相模は、薫の疾病を胃腸炎と誤診していたため胃腸炎に対する処置をしただけで、脳神経外科専門の医療機関への転医を勧めることをしなかった。

(3) 薫は、同年八月初めころから、金沢鉄道病院福井保健室への勤務を再開していた。

(二) 第二回目の脳動脈瘤の破裂と済生会病院における診療経過

(1) 薫は、昭和五二年八月一八日午後八時三〇分ころ、自宅付近で倒れ近所の内科医畑晴夫医師の往診を受けたところ、畑医師は、薫の脳内出血を疑い、救急車で薫を脳神経外科のある済生会病院へ転送した。

(2) 薫は、同日午後九時四九分ころ、済生会病院へ搬入されて当直の内科医の応急措置を受け、午後一〇時四〇分ころ同病院内科に入院した。

(3) そして、薫は、翌一九日午前九時過ぎころ脳神経外科へ転科して同病院脳神経外科医長土屋良武医師(以下「土屋医師」という。)によりCTスキャン検査、脳血管連続撮影を受け、その結果、薫の右脳内頸動脈の後交通動脈分岐部に動脈瘤が認められ、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断された。

土屋医師は、同日午後薫に対して連続脳室ドレナージ手術(頭蓋穿孔後、脳室内に細いチューブを入れ、血腫を洗浄し、次いで水頭症を防ぐため一定圧以上の髄液を体外に排水させる手術)を実施した。

(4) その後の同月二一日から同月二四日までの薫の回復は順調で、特に同月二三日には、薫は言葉を若干ながら解するようになり、その意識状態ないし全身状態は改善の方向を示していた。

(5) 土屋医師は、原告重高に対し、同月二五日、薫の根治手術を同月三一日に行う予定である旨述べたが、その後の薫の全身状態は悪化の傾向を示し、結局、薫の根治手術は行われることがなかった。

(6) 薫の身体が弱っていくのをみた原告重高は、同年九月五日、土屋医師に対し、薫の脳動脈瘤の根治手術を早く行って欲しいと要望したが、同医師は、「忍の一字」と述べるだけで根治手術を行わなかった。

(7) 土屋医師は、同月一〇日には薫の脳室ドレナージを抜去した。

そして、薫は、同月一二日の朝から嘔吐をするようになり、土屋医師は薫に対し、同月一三日CTスキャン検査を行い、同月一四日、再度脳室ドレナージ手術を行った。

(三) 第三回目の脳動脈瘤の破裂と死亡

薫は、同月一六日午後一〇時四〇分、突然、脳動脈瘤の破裂を起こし、脳室ドレナージから大量の鮮血が流出した。まもなく、薫の呼吸は停止し、レスピレータを装着し人工呼吸を続けたが、同月一八日午前零時ころ、心拍停止し、同日午前零時一〇分に死亡した。

3  被告相模の責任

(一) 被告相模は、昭和五二年七月二五日、薫との間で、同人の疾病に対し適切に診断し専門医への紹介を含めた必要な診療行為を行うことを内容とした準委任契約を締結した。

また、被告相模は、右準委任契約上の注意義務のみならず、医師としてその業務を行ううえで高度の注意義務を負っている。

(二) 薫が昭和五二年七月二五日、前記の如く畑仕事の最中に倒れた発作は、右脳内頸動脈の後交通動脈分岐部にできた脳動脈瘤の第一回目の破裂によるクモ膜下出血によるものであったところ、その際の薫の状態は、健康状態から急激に突如として発症し、激しい頭痛と嘔吐があったこと、かなりの期間頭痛や吐き気が持続したもので、脳動脈瘤破裂発作の典型的症状を呈しており、更にクモ膜下出血の好発症年齢である当時五三歳の薫の年齢や高血圧を考察すれば、クモ膜下出血を強く疑うことができる状態であった。

しかるに、被告相模は前記注意義務に違反して、薫や同人に付き添った原告重高に対して、初診時に発病状況について十分問診することをせず、問診を尽くせばクモ膜下出血を十分疑うべき所見が得られたものであり、そうであれば薫を脳神経外科専門の医療機関に転医させることができたにもかかわらず、漫然と薫の疾病を急性胃腸炎と誤診して、これを行わず、更に、その後も薫が継続して通院していたにもかかわらず、その症状等について十分な問診をすることを怠り、初診以後継続する薫の頭痛の訴えを軽視して誤診のまま急性胃腸炎に対する治療を継続した。

被告相模の右過失(注意義務違反)により、薫は死の可能性の高い第二回発作の起こる前に、脳神経外科専門医の診療を受ける機会を失ない、第二回目の脳動脈瘤発作を回避することができず、結局、死亡するに至ったものである。

したがって、被告相模は原告らに対し、不法行為若しくは前記準委任契約違反に基づいて、後記損害について責任を負う。

4  被告済生会の責任

(一) 被告済生会は、薫の代理人である原告重高との間で、昭和五二年八月一八日薫が済生会病院に搬入された際、その疾病に対して適切かつ誠実な診療を行うことを内容とする準委任契約を締結した。

また、被告済生会は、右準委任契約上の注意義務のみならず、その使用する各医師その他の職員の過失によって生じた損害について使用者としての不法行為責任を負う。

(二) 被告済生会の過失

(1) 緊急医療上の過失

前記のとおり、済生会病院に救急車で搬入された薫に対し、脳神経外科医である土屋医師の診療が行われたのは翌日の午前九時過ぎころであった。

脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れた場合、早期診断・早期治療が極めて重要であるところ、脳神経外科医が直ちに薫を診察していれば、薫が倒れた状況、一般症状、腱反射の所見等により、クモ膜下出血を疑うことができ、更に、CTスキャン検査、脳血管撮影等によって確定診断をつけることができた。そして、脳神経外科医の判断と医療技術があれば判明したクモ膜下出血の部位、出血の程度によってはその後に予想される血管のれん縮を防止・軽減させ、また、脳浮腫に伴う脳圧亢進を抑制するための脳室ドレナージ手術を行うことができた。

これらの脳神経外科による適切な診断・治療が直ちになされていれば、薫の全身状態は改善し二四時間以内に根治手術をなし得る状況になっていた可能性があり薫の救命も可能であった。

しかるに、被告済生会では脳神経外科医に診療させなければならないときはいつでもこれを呼び出せる体制であったにもかかわらず、脳神経外科医を呼ばず、薫にその診療を受けさせなかったことに緊急医療上の過失がある。

なお、薫が済生会病院に搬入された時点の詳細な診療録が存在せず、原告らは右救急医療上の債務不履行を立証することが極めて困難となっているところ、これは被告済生会が医師法及び信義則に違反して診療録を具備しなかったこと(証明妨害)に起因するのであるから、訴訟における立証上の公平を考えれば、被告済生会が「仮に適切な医療行為がなされても薫は死亡した」ことを立証すべきであり、右立証に失敗すれば被告済生会は救急医療上の債務不履行責任を負わなければならない。

(2) 根治手術を実施しなかった過失

薫は、すでに二回脳動脈瘤の破裂を起こし、そのまま放置すれば第三回目の破裂を起こす可能性が極めて高く、第三回目の破裂が起これば救命の可能性がほとんどないという状況下にあったから、脳動脈瘤の超早期手術(発病二四時間以内に、脳動脈瘤の頸部をクリップで処置して脳動脈瘤内の血流を遮断するクリッピング術を実施したうえ、脳動脈瘤破裂発作によるクモ膜下腔の血腫を完全に除去して術後に生じる血管れん縮を防ぎ、凝血を完全に除去できない内頸・後交通動脈瘤では頸部交換神経切断術を併せ行う手術。)を行うべきであった。

仮に、薫の全身状態の改善を待つにしても、第三回目の脳動脈瘤破裂の可能性や危険性は極めて高いところ、その全身状態にかなりの改善がみられた昭和五二年八月二一日から二四日(特に二三日)までの間に根治手術が可能であり、この段階で直ちに根治手術を行うべきであった。

右根治手術を実施していたならば、薫が救命された可能性があるにもかかわらず、主治医の土屋医師は保存的療法にこだわり、ただひたすらに待機して薫を死にいたらしめたものであり、右は土屋医師の過失によるものである。

5  被告済生会の予備的責任(説明義務違反や自己決定権侵害等による慰藉料請求)

(一) 仮に、被告済生会がとった保存的療法が医学上正しいとされる場合であっても、土屋医師らは薫の家族である原告ら(診療契約の当事者である患者本人が説明を受けられない状態にあるときは、その家族に対し説明を行うべきである。)に対し、薫の病状、治療方針等について詳しく説明することを怠った過失がある。

すなわち、土屋医師は、原告らに薫の病状について詳しく説明しなかったうえ、特に、薫の脳室ドレナージ手術をする前に「根治手術をすれば助かる、手術をしなければ助からない」旨の説明を行い、更に、昭和五二年八月二五日には、同月三一日に根治手術をすると決定した旨を一旦、告げたにもかかわらずこれを行わず、原告らが根治手術を求めたのに対し、「忍の一字」という舌足らずな説明をしただけで結局根治手術を行わないでいるうちに、薫は脳動脈瘤の再破裂により死亡した。

以上のように、土屋医師は診療契約上の説明義務を尽くさず、この適切な説明義務の懈怠が患者側である原告らの、同医師や被告済生会に体する不信感を増大させたものである。

(二) 一般に、ある疾病について医学上二つ以上の治療方法がある場合、医師はその選択に伴なうメリット、デメリットを患者又は家族に十分説明して意見交換を行い、最終的には患者の人格を尊重する立場から患者側の自己決定権を尊重して患者側の選択するところに従うべきである。

本件においては、薫の全身状態からこれを行うことによるかなりの危険性の予見される根治手術と、第三回目の脳動脈瘤が破裂すれば救命の可能性のほとんどない保存的治療法の二つの選択が有り得たのであるが、土屋医師は、患者側である原告重高の選択に従い根治手術に踏み切るべきであったにもかかわらず、同医師は、根治手術によって薫が死亡することを恐れるあまり待機を続けてかえって薫を死亡するにいたらせ、患者側の自己決定権を侵害し「根治手術をしていたら」という悔いを残させた。

更に、土屋医師が患者側の原告重高の選択した療法の医学的妥当性について信念を持てない場合には、その旨を原告らに伝えるべきであり、そうすれば、薫は患者側の選択した右治療法等の医学的妥当性について信念をもって治療行為に当たってくれる医師のもとに転医することもでき、患者側の原告らは心残りや諦め切れない想いから免れ、あるいはこれを軽減することができたものである。

(三) 以上のとおり、被告済生会の説明義務違反、自己決定権の侵害という診療契約上の債務不履行自体によって薫が蒙った精神的損害は金三〇〇万円を下らないというべきである。そして、薫の右金三〇〇万円の慰藉料請求権について原告重高は金一〇〇万円を、原告行広は金二〇〇万円を薫の死亡によりそれぞれ相続した。

6  損害

(一) 薫の逸失利益

金一六五〇万円

薫は、死亡当時満五三歳であり、その生前国鉄職員として年間金三一七万三一七八円の収入を得ていた。薫は生存すればさらに六七歳まで一四年間右金額を下回らない収入をあげたものと考えられるので、その五割を生活費として控除したうえ、ホフマン式計算法により中間利息を控除して逸失利益の現価を求めると、次のとおり金一六五〇万円(一〇万円未満切捨)となる。

金317万3178円×10.409×0.5=金1651万4804円

そして、薫の死亡により、夫である原告重高と子である原告行広が右逸失利益を相続し、原告重高の相続分は金五五〇万円、原告行広のそれは金一一〇〇万円である。

(二) 原告らの慰藉料

金一〇〇〇万円

原告らは薫を亡くし、筆舌に尽くしがたい苦悩を受けており、この苦痛を慰藉するにはそれぞれ金五〇〇万円を下回らない。

(三) 葬儀費用 金五〇万円

原告重高は、薫の葬儀費用として金五〇万円を支出した。

(四) 弁護士費用 金二〇〇万円

被告らは任意の賠償に応じないため、原告らはやむなく表記訴訟代理人弁護士に訴訟を依頼せざるを得なかったところ、本件において被告らの負担すべき弁護士費用としては、金二〇〇万円が相当であり、これを原告重高の損害として計上する。

7  まとめ

よって、被告らに対し、それぞれ、(一)主位的に不法行為に基づき、併せて被告済生会については診療契約の不履行に基づく損害賠償として、原告重高は金一三〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五二年九月一八日から、原告行広は金一六〇〇万円及びこれに対する前同日から、それぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを、(二)予備的に、被告相模に対し、診療契約の不履行に基づく損害賠償として、原告重高は金一三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五六年一一月一四日から、原告行広は金一六〇〇万円及びこれに対する前同日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを、被告済生会に対し、説明義務違反等による慰藉料請求権に基づき、原告重高は金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五六年一一月一四日から、原告行広は金二〇〇万円及びこれに対する前同日から、それぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  被告相模の請求の原因に対する認否

1  請求の原因1(当事者)の事実中、(二)の事実(被告相模について)は認め、その余の点は知らない。

2  同2の事実(薫の死亡までの経過)について

被告相模が、昭和五二年七月二五日の夜に来院した薫を診察し、その際薫に嘔吐の症状がみられ、その疾病を急性胃腸炎(食当り)と診断して治療したこと、薫が翌二六日から同月二九日まで連続して通院したが、同被告は薫に対し、脳神経外科専門の医療機関へ転医を勧めなかったことは認めるが、薫が同被告来院前に脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血をきたしていたこと及び被告相模の右診断が誤診であることは否認し、その余の点は知らない。

3  同3の事実(被告相模の責任)について

同3のうち、(一)の事実は認め、その余の点は否認する。

4  同6(損害)の事実は知らない。

三  被告済生会の請求原因に対する認否

1  請求の原因1(当事者)の事実中、(三)の事実は認め、(一)の事実は知らない。

2  同2(薫の死亡までの経過)の事実について

(一) 同2(一)(第一回目の脳動脈瘤の破裂)の事実は知らない。

(二) 同2(二)(第二回目の脳動脈瘤の破裂と済生会病院における診療経過)の事実について

(1) 同2(二)の(1)ないし(3)の事実(薫の済生会病院への搬入の経緯並びに済生会病院における薫の昭和五二年八月一八日及び一九日の診療)及び(7)の事実(済生会病院における薫の昭和五二年九月一〇日以後の診療)は認める。

(2) 同2(二)の(4)ないし(6)の事実については、脳室ドレナージ手術実施後の数日は、薫の意識状態が改善方向にあったこと(ただし、その程度は争う。)、土屋医師が薫の根治手術を昭和五二年八月三一日ころ実施する予定であることを原告重高に伝えたこと、その後薫の全身状態が悪化し、結局薫の根治手術が行われなかったこと、原告重高が土屋医師に対し一か八で薫の根治手術を実施して欲しいと希望したことがあること(ただし、それはその翌日原告重高によって取り消されている。)は認め、その余の点は否認する。

(三) 同2(三)(第三回目の脳動脈瘤の破裂と死亡)の事実は認める。

3  同4(被告済生会の責任)の事実について

(一) 同4(一)の事実(準委任契約の締結と被告済生会の使用者の立場)は認める。

(二) 同4(二)(1)(緊急医療上の過失)について

済生会病院に昭和五二年八月一八日救急車で搬入された薫を脳神経外科医の土屋医師が診療したのは翌一九日の午前九時過ぎころであること、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れた場合、早期診断・早期治療が極めて重要であることは認めるが、その余の点は否認する。

(三) 同4(二)(2)(根治手術を実施しなかった過失)は、否認する。

4  同5(被告済生会の予備的責任)について

被告済生会(具体的には同被告の履行補助者としての土屋医師)が、薫との診療契約(準委任契約)上の義務として薫(ないしその家族)に説明義務を負っていること、また、土屋医師が八月三一日ころ実施する予定であることを一旦原告重高に告げたが、結局薫の根治手術を実施しなかったことは認めるが、その余の点は否認する。

5  同6(損害)の事実は争う。

四  被告相模の主張

1  脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の主たる症状は、激しい後頭部頭痛、項部強直及び嘔吐の髄膜刺激症状や意識障害であるところ、薫には、被告相模への来院当時、嘔吐の症状があったのみでその他クモ膜下出血を疑うべき症状は全くなかった。そもそも、医師である被告相模において、単なる食当りによる嘔吐と髄膜刺激症状としての嘔吐との区別がつかないわけもなく、当時の薫の疾病は明らかに急性胃腸炎(食当り)であって、その後昭和五二年八月一八日発生したとされる脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血とは、たまたま時期が近接しているだけで無関係である。

2  仮に、薫が被告相模への来院に脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血を起こしていたとしても、これを被告相模が看過したことについては過失はない。

被告相模が作成した薫の診療録には、頭痛についての記載はないところ、一日に多数の患者を診療しなければならない一般開業医である被告相模にはなすべき問診についても限度があり、仮に、薫に原告ら主張のとおりの症状が存在したとしても、薫の当時の症例は数少ない部類に属する軽いクモ膜下出血のケースであり、当時一般開業医のクモ膜下出血に対する知識水準が低くひんぱんにクモ膜下出血が見逃がされていた状況のもとでは、被告相模が薫又は原告重高から詳しい状況を聞き出すことができず、結果的には第二回発作の前にクモ膜下出血の治療の機会を逃がしたとしても、そのことをもって直ちに被告相模に過失があるということはできない。

五  被告済生会の主張

1  被告済生会の薫に対する診療

(一) 薫は昭和五二年八月一八日夜九時四九分ころ、救急車にて済生会病院に来院したので、当直に内科医師は高血圧性脳内出血の疑いで入院させ、応急処置を行った。

同月一九日朝九時過ぎころ、土屋医師がCTスキャン検査を施行したところ、薫の右側脳室を中心に中等量の脳室内血腫があり、脳室拡大を示していた。また、薫の右側クモ膜下腔にも軽度の出血を示す高吸収域を認めたので、同医師は直ちに出血源の確定のため、右頸動脈写(脳血管連続撮影)を施行した。その結果、右内頸動脈の後交通動脈分岐部に動脈瘤を認め、かつ同動脈系全体に中等度の脳血管れん縮像がみられた。

以上の検査所見から同医師は、薫の疾病を脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断した。この時点での薫の意識は半昏睡で、著明な項部強直、眼底出血、軽度の左不全片麻痺が認められた。

(二) 脳動脈瘤は放置すれば再破裂による出血のため死亡の危険性が極めて高く、約七〇ないし九〇パーセントが結局死亡するとされている。右治療法としては、現在、脳外科的手術による動脈瘤の柄部を特殊クリップで止めるクリッピングが唯一の根治的治療法であり、内科的治療法はない。

また、再破裂は統計上発作後三日から三週間の間に起きることが多いとされているが、ある特定の一例をとって、いつ再破裂が起こるのかを予知することは不可能である(このため「爆弾を抱えている状態」とたとえられる。)。

しかし、薫の当時の状態は高度の意識障害(半昏睡)に加えて、脳室内に血腫があり、それによる急性水頭症も合併していたうえ、脳血管写上、すでに脳血管れん縮が起こっており、全体として極めて重篤な状態にあった(この病気の重症度をⅠからⅤ段階に分けたハントとヘスの分類ではクレードⅣに相当する。)。

このような病状の患者に脳動脈瘤の根治手術を強行すれば、脳血管れん縮をさらに悪化させ、重症の半身麻痺または広範な脳梗塞を起こして、いわゆる植物状態ないしは死亡する可能性の極めて高いことが、すでに知られており、このような場合には、各種の保存的治療によって患者の病状の改善が得られたのちに、根治手術を行うのが原則である。

(三) 右のとおり、薫の場合、根治手術は延期せざるを得ない状態にあったが、他方、脳室内に流入した血腫によって急性閉塞性水頭症が起こりつつあり、放置すれば頭蓋内圧亢進によって二、三日後には死亡するであろうと推定される状態にあった。

そのため同月一九日診断確定後、土屋医師は直ちに、脳動脈瘤に対する根治手術ではないが、緊急に必要な救命手術であると同時に脳血管れん縮の悪化を防ぐ効果をも期待されている脳室ドレナージ手術を施行した。

(四) 土屋医師は、右脳室ドレナージ手術を行って急性水頭症による死亡を防止する一方で、その後も、脳圧を調整し、脳動脈瘤の再破裂をできるだけ防止するために止血剤・鎮静剤・脳血管れん縮とそれによる脳浮腫に対して副腎皮質ホルモン剤・脳圧降下剤更には意識障害改善剤などの十分な投与を行いながら、薫の病状の改善を待ち、根治手術の機会を待っていたものであって、同医師がただ漫然と時期を待っていたものでは決してない。

しかし、薫は済生会病院来院時から重篤であって、脳動脈瘤の根治手術をなし得るだけの病状の改善がないまま死亡するに至ったものである。

2  緊急医療上の過失について

(一) 昭和五二年当時済生会病院の脳神経外科医長の土屋医師は、後述のとおり重症例のクモ膜下出血については、意図的晩期手術の方針を採用していたところ、右方針をとる以上、薫に対してなされる緊急医療は、安静にさせ輸液や酸素投与を行い脳浮腫の治療薬を用いる等の保存的療法となるのであり、それが脳神経外科医によるものであれ内科医によるものであれ、処置的に差がないものである。したがって、夜間搬入された薫に対し土屋医師の診療が直ちに行われなかったとしても、それ自体何ら違法性のないものである。加えて、当直の内科医が薫に対し行った緊急医療は適切であったものであるから、被告済生会の薫に対する緊急医療と薫の死亡との間には全く因果関係がなく、この点について被告済生会が問責されるいわれはない。

(二) また、本件において当直医による診療録の作成がなされなかった可能性はあるが、同医師の処置に何らの問題もなかったことが推定される事例であるうえ、補助的資料としての看護記録は詳細に記載されており、かつ土屋医師の診療録や検査資料も詳細に経過事項を記載しているものであるから、被告済生会には信義則に違背する証明妨害は存在しないというべきである。

3  根治手術を実施しなかった過失について

(一) 脳動脈瘤の治療上の問題点

(1) 脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の治療は決して単純に図式化できるものではなく、次のような様々な問題点を内包している。

脳動脈瘤に対する顕微鏡手術の導入以前には、肉眼的手術であったため技術的にもいくつかの問題点と限界を有していたが、我国においても昭和四〇年代後半ころから急速に顕微鏡手術が導入され、一線病院にまで普及されるに及んで脳動脈瘤治療の飛躍的な進歩がなされた。

この結果、一方では一般内科医等のクモ膜下出血に対する関心も高まり、発症後早期に脳外科的治療を受ける例数が増加した反面、他方で手術後に著しく予後不良な経過をとる症例も少なくないことが問題となってきた。

すなわち、顕微鏡手術による技術的安定の上に「再破裂の予防=救命」を目標に、発症早期に手術を受けた症例の中には、手術自体は完全であったにもかかわらず、術後に状態が悪化して死亡したり、救命はされてもいわゆる植物人間ないしは寝たきり状態となる予後不良例が少なくない点が明らかになってきたのである。

(2) その結果、これらの病態と原因究明のために日本はもとより世界的な脳外科医の臨床的・実験的研究が集中的に行われ、以下の要点に集約されるに至った。

① 予後不良となった患者の病態は、脳血管れん縮によるものであり、その原因は、クモ膜下腔に出た血腫が時間と供に変性し、そこから産出されたある種の物質が血管に作用してれん縮をひき起こすこと。

② 術前の臨床病像が重篤なものほどクモ膜下出血の程度が強く、範囲の広いものほど脳血管れん縮の起こる頻度・範囲・程度共に高く、予後も不良であること。

③ 脳血管れん縮は、統計上クモ膜下出血発作後三日から一二日目までの間に高い発生率を示すこと。

また、脳血管れん縮発生の準備状態にある患者にとって、手術操作はれん縮発生の誘因ないしより増悪させる因子となり得ること。

④ 一〇〇パーセント確実に脳血管れん縮の発生を予防する方法及び発生後にそれを完治させ得る薬物ないし手段は現在のところないこと。

(3) 以上に要約される脳血管れん縮の病態の解明につれて、それまでのできるだけ早期に手術をすべきとされてきた主張に対して、「意図的晩期手術」を主張するグループが台頭するに至った。

すなわち、破裂脳動脈瘤は全例において脳血管れん縮発生の可能性が高い約二週間の間、また、脳血管れん縮発生例ではそれが解除するまでの期間、止血剤・鎮静剤等の投与と絶対安静看護下に意図的に手術を待機し、その後に根治手術を行うとするものである。

「意図的晩期手術」に対しては、待機中に再破裂を起こし死亡する例を救えないとする反論もなされたが、待機中の死亡率は早期手術例の術後死亡率と大差はなく、他方術後の予後では早期例に比べ明らかに予後良好例の比率が高いことから多くの脳外科医に支持されるに至った。

(4) 昭和五二年当時の状況は、一部の大学を含めて一線病院の多くにおいては、意図的晩期手術が実態であったが、学会における議論の大勢は、全例を待機する必要はなく重症度に応じて手術時期を決定すべきとする方向にあった。

すなわち、手術成績を左右する主要な因子が患者の重症度であることから五段階の重症度分類(ハントとヘスの分類)に基づいて①グレードⅠ及びⅡでは診断がつき次第いつでも手術する。②グレードⅢからⅤでは多発性脳動脈瘤で繰り返し出血する場合又は脳内血腫を合併している場合以外は、保存的に治療し、グレードⅠからⅡの状態への改善を待って手術する。という原則的方向が容認されつつあった。

つまり、破裂脳動脈瘤の治療においては、昭和五二年当時、すでに単なる「救命」を目的とする時代は過ぎており、一方で待機中に再破裂等による死亡例があることも事実であるが、他方で重症例の手術死亡率は高く、たとえ救命はなし得たとしても、植物人間ないし寝たきり状態に固定化した場合には、患者はもとより家族にとっても、経済的・社会的に大きな問題を残すことになる点が重視されなければならないと指摘される時代になっていた。

もちろん、一部の大学や施設には、早期手術を主張する意見があり、必ずしも学会全体としての一致がなされてはいないが、「脳外科医はメスに責任をもつべきであり、脳血管れん縮の予防と治療に十分な武器をもたない以上、結果として予後不良となる確立の高い手術は行うべきでない」とする立場が大勢を占めていた。

(5) 以上のように、破裂脳動脈瘤の治療は複雑な問題点を内包しており、頭部外傷による頭蓋内出血の治療などの場合と大きく異なる点である。

ただし、今日では昭和五二年当時に比べて、手術における工夫(積極的血腫除去や脳槽ドレナージ術など)と各種薬物による脳血管れん縮治療の前進に伴って、発症後四八時間以内であればグレードⅢ(一部はⅣ)まで早期手術の対象とする積極的意見も多くなってきている。しかし、現時点においてもその細部については賛否両論が入りみだれ、未だ検討の途上にあるといわなければならず、こうした破裂脳動脈瘤の手術時期をめぐる論争は、ほとんど毎年日本脳神経外科学会総会及び脳卒中学会等における主要シンポジウムの主題としてとり上げられ、年毎により具体化ないし変遷してきている。

(二) 土屋医師の薫に対する治療方法選択の妥当性

薫の主治医であった土屋医師は、脳動脈瘤破裂による重症(グレードⅢ以上)のクモ膜下出血の患者に対しては、当時の学会及び一線病院の治療の大勢であった「意図的晩期手術」の方針をとっていたものであり、更に右方針を踏まえつつ、具体的に前記薫の病態のみならずその年齢、全身状態・合併症の有無・動脈瘤の部位や形態的特徴を考慮したうえで脳神経外科医としての自らの経験と信念に基づいて薫の前記状態では根治手術の適応でなく、内科的治療で全身状態の回復を待つべきものと判断したものであって、それには何らの落度もない。

そして、土屋医師の薫への右一連の診療は、検査・診断・処置の手順内容等いずれの点からしても理想に近いものであって何ら問責されるものでないことは明らかである。

4  被告済生会の予備的責任について

(一) 患者の自己決定権の限界について

(1) 患者の自己決定権の主張は、従来の恩恵的医療から患者参加の医療へ、また、専断的医療から医師と患者の合意に基づく自治的医療へと医療の法的性格を転換させ、いわゆる算術医療・薬づけ検査づけ医療・無責任医療の弊害を防止し、医療における人間性を回復するところにその法的意味がある。そして、患者の自己決定権が、自己の健康を回復・維持又は増進するため、医療従業者の助言・同意を得て、自らの意思と選択のもとに、最善の医療を受けることを目的として生成された医療への参加権である以上、それが機能する領域にも限界があり、いやしくも濫用されたり、誠実になされている最高水準の医療の現場を混乱させるものであってはならない。

何人も最善の医療給付を求める診療契約関係に入りながら、その相手方(医師)に対して治療効果の期待できない自傷行為的処置を要求したり、生命を「一か八かの運命」にさらすことを強制したりすることは許されないところであって、右自己決定権は、患者の恣意を承認するものではなく、そのいたずらな行使によって医療の荒廃を招来することを容認するものでもなく、そこに法的な限界が自ずから存在するものである。

(2) 更に、重篤な疾病にかかり、いかなる療法によるも、その生命が危ぶまれたり、あるいは重大な後遺障害が生ずるおそれがあったりする場合において、患者(もしくは親族など)に療法に関する最後の選択を求めることには、医療の特質及び人間心理の性質からして、事実上の限界がある。

医師が患者などに対し、どんなに誠意をもって、ある療法の目的・内容・危険性の程度・予後の見通しなどについての説明義務を尽くしたとしても、患者などがその意味内容を正確に理解できないことは多くの場合存在することであるし、仮に正確に理解し得たとしても人間心理の特性からしていずれの療法を選ぶべきか最終的な自己決定をなし得ないことが極めて多い。

よしんば自己決定をなし得たとしても、それはまた症状の変化などによってしばしば変更されたり取消されたりする性質のものである。

医療は一般に、検査・診察→診断→療法の決定→病態の観察・改善的治療→根治的治療(手術)といったプロセスを繰り返して進行していくものであるが、その一つ一つの過程において、患者などの療法決定についての混乱・遅疑逡巡・取消・変更などが介在し、しかもそれが医師に対する法的拘束を強く有するということになれば、医師の進退は極まるのであって、結局は医療の無責任ないし荒廃を招来するに至ることは見易い道理である。

(二) 本件における土屋医師の説明と原告重高の決定について

(1) 本件において土屋医師は、原告重高に対し、薫の病態・手術の必要とその適応の時期、それまでの保存的療法とその順序などについて、そのときの最高の医学上の知見に基づき繰り返し十二分に説明しその義務を尽くしていたものである。

これに対し、原告重高は土屋医師に対し、根治手術以外の内科的療法を求めたり、同医師の治療方針を承諾したり、ときには早期の根治手術を求めたりしてその意見の落ち着くところはなく、日々その意見が変更され、遅疑逡巡し著しく混乱していたものである。

(2) 薫の病態は極めて重篤な脳血管障害であり、その療法は極めて慎重を要するものであったところ、かかる医療の現場に、患者の自己決定権なる名の下に右のような遅疑逡巡と混乱が持ち込まれ、医師がその都度それに従わなければならなかったとすれば、薫の病態は急速に悪化したことは明らかである。

そして、原告重高の一時的な意見である「一か八か、早く手術をして欲しい」旨の申入(その申入は翌日取消されている。)に従って土屋医師が手術適応がないのに、そしてその成功率も極めて低いのに、薫に対する手術を実施し、不幸にして死亡もしくは重篤な予後を招来したとすれば、おそらく原告らはそのことをとらえて医療上の責任を問うであろうことは想像するに難くない。

(3) 以上のとおり、本件における土屋医師の説明義務は十分に尽くされ、それに基づく患者側の原告重高の承諾は存在したものである。

結局、本件では原告重高の一時的意見にすぎない「一か八か、早く手術をして欲しい」旨の申入はあったものの、それは自己決定権の行使と目される事象ではなく、仮に、右申入を自己決定権の行使と解したとしても、それは自傷行為的処置を求める自己決定権の限界を超えたものであって、土屋医師の薫に対する療法を拘束する法的効果を有さないものである。

なお、済生会病院で診療中の薫の病状、病態からして転医の適応がなかったのは明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1(当事者)について

〈証拠〉によれば、原告重高が死亡した薫の夫であり、原告行広が薫と原告重高との間の唯一の子であることが認められ、これに反する証拠はない。

同1(二)の事実は、原告らと被告相模との間では争いがなく、同済生会との間では〈証拠〉によりこれを認める。

同1(三)の事実は、原告らと被告済生会との間では争いがなく、同相模との間では〈証拠〉によりこれを認める。

二次に、請求の原因2(薫の死亡までの経過)について検討する。

1  被告相模が昭和五二年七月二五日の夜に来院した薫を診察し、その際薫に嘔吐の症状がみられ、その疾病を急性胃腸炎(食当り)と診断して治療したこと、薫が翌二六日から同月二九日まで連続して通院し同被告の診療を受けたが、同被告が薫に対し、脳神経外科専門の医療機関への転医を勧めなかったことは、原告らと同被告の間で争いがない。

請求の原因2(二)(第二回目の脳動脈瘤の破裂と済生会病院における診療経過)の事実中(1)ないし(3)の事実(薫の済生会病院への搬入の経緯並びに済生会病院における昭和五二年八月一八日及び一九日の診療)及び(7)の事実(済生会病院における薫の昭和五二年九月一〇日以降の診療)並びに脳室ドレナージ手術実施後の数日は薫の意識状態が改善の方向にあったこと、土屋医師が薫の根治手術を昭和五二年八月三一日ころ実施する予定であることを原告重高に伝えたこと、その後薫の全身状態が悪化し、結局薫に対する根治手術は実施されなかったこと、原告重高が土屋医師に対し、一か八かで薫の根治手術を実施して欲しいと希望したことがあること、請求の原因2(三)(第三回の脳動脈瘤の破裂と死亡)の各事実は原告らと被告済生会との間で争いがない。

2  右原告らと被告相模との間で争いがない事実及び原告らと被告済生会との間で争いがない事実に加えて、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない(〈証拠判断略〉)。

(一)  第一回目の発作と被告相模の診療

(1) 薫は、大正一三年五月三日生まれで、生前国鉄金沢鉄道病院福井保健室に看護婦として稼働していた者であり、やや高血圧(最大血圧一五〇mmHg前後、最小血圧九〇mmHg前後)であった他は、健康体であった。

薫は、昭和五二年七月二五日の夕食後の午後八時過ぎころ、自宅から約三〇〇メートル離れた畑で農作業中、突然、激しい頭痛に襲われ、目の前が暗くなり立ち眩み状態になると共に、嘔吐してその場付近にうずくまっていた。

右薫を発見した近隣者の通報により、同日午後八時三〇分ころ現場に駆けつけた原告重高は薫を自宅に運び寝かせたが、同人は頭痛のためか相当の苦悶状態にあった。

(2) このため、原告重高は、同日午後一〇時ころ自宅近くの救急病院である相模病院へ薫を運んだが、そのころには薫は、相模病院に行く際に自ら着替え、また看護婦の手を借りながらも診察室まで歩行できる程度に回復していた。

被告相模は、薫本人の夕食にいかを食べそれを嘔吐したとの訴えをもとに、薫の血圧を計る(最大血圧一六〇mmHg、最小血圧八〇mmHg)などして、急性胃腸炎(食当り)と診断し、吐き気止及び抗生物質の注射、水分補給のための点滴を実施したうえで胃腸薬を処方して、薫を帰宅させた。

(3) 薫は、翌二六日から同月二九日まで四日間、毎日原告重高に付き添われて相模医院に通院して被告相模の診療を受けた。

被告相模は、この間、薫から受けた嘔吐、便秘、頸から肩にかけての痛みなど種々の訴えに応じて、水分補給のための点滴、下剤(プルゼント)の投薬、肩凝りの痛み止であるプロカイン、デカドロンの注射などの治療をするだけであった。

以上のように薫の二五日から二九日までの通院治療期間中、被告相模は終始、薫の消化器系統の疾病や頸腕症候群を想定して治療を行うだけで、右疾病が脳内疾患に基づくものでないかとの疑いを抱くこともなく、したがって薫に対し脳神経外科専門医への転医を勧めることもなかった。

薫は、この間、原告らに対し頭が割れるようにがんがん痛いと訴えていたものの、その痛みは日毎に少しづつ薄れていった。

(二)  第二回目の発作と済生会病院での診療

(1) 薫は、同年八月に入って、金沢鉄道病院福井保健室への勤務を再開していたところ、同月一八日午後八時過ぎころ、知人と自宅前の門付近で立ち話をしている最中に、突然倒れ意識を失った。

そのため、近隣の開業医の畑晴夫医師の往診を受けたところ、薫は最大血圧一三〇mmHg、最小血圧八〇mmHg、意識蒙籠、脈膊正、緊張良好で嘔吐を繰り返していた。同医師は、右薫の症状や、原告らから薫が前回倒れたことをも聞知して、薫の脳内出血を疑い、応急措置をとったが軽快に向かわなかったため、脳神経外科のある済生会病院へ薫を転送することとした。

そこで、薫は同日午後九時四九分ころ救急車で原告重高に付き添われて済生会病院に搬送された。

(2) 薫は、済生会病院の救急外来で当直の内科医から、輸液路の確保や尿失禁のため膀胱内への留置カテーテル挿入等の緊急措置を受けた後、高血圧性脳内出血を疑われ、同日午後一〇時四〇分ころ、内科に入院した。

(3) そして薫は、翌一九日午前九時ころ済生会病院脳神経外科に転科して脳神経外科医長である土屋医師(主治医)の診療を受けるまで同病院内科において、当直医の指示のもとで次の診療を受けた。

すなわち、安静を保った上で酸素投与、輸液実施、副腎皮質ホルモン剤(ソルコーテフ)・脳代謝賦活剤の投与を受け、更に体温を下げるための氷枕も使用されたが、薫は、痛覚刺激に反応せず昏睡状態のままであった。

(4) 土屋医師は、同一九日午前九時三〇分ころ、内科当直医から口頭で引継を受け、薫の意識状態等を診察したうえで、薫のCTスキャン(コンピューターを利用した頭蓋内の断層撮影)検査を行ったところ、主として右側脳室に中等量の脳室内血腫を認め、また、右側クモ膜下腔にも軽度の出血を示す高吸収域があり、脳室内の大きさも薫の年代の平均的大きさに比してやや大きくなっていることを認め、更に出血源の確定のため薫の右頸動脈からの脳血管連続撮影を行ったところ、右内頸動脈の後交通動脈分岐部に動脈瘤を認め、かつ同動脈系全体に中程度の脳血管れん縮像を発見した。

また、この時点における薫の意識は半昏睡(昏々と眠るが、強い痛覚刺激にのみ短時間非特異的な反応をする。)で、著明な項部強直、眼底出血、軽度の左不全片麻痺がみられた。

以上の検査所見や症状から土屋医師は、薫の疾病は脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血であり、その程度は「ハントとヘスの症状分類(後記クモ膜下出血についての知見参照。)」のグレードⅣないしⅤと診断した。

土屋医師は、薫の前記病状のもとでは直ちに脳動脈瘤の根治手術を強行することは一般に脳血管れん縮をさらに悪化させ、重症の半身麻痺または広範な脳梗塞を起こして「植物状態」ないしは死亡する可能性が極めて高いことが知られているため適当でないと判断しこれを延期することとしたが、他方、右CTスキャン検査の結果から脳動脈瘤破裂により薫の脳室内に流入した血腫によって急性閉塞性水頭症が増悪していくことが予想されたため、脳室ドレナージ手術(頭蓋の穿孔後、脳室内に細いチューブを入れ、血腫を洗浄するとともに一定圧以上の髄液を対外に排出させる治療)を行う必要があると判断した。

(5) そこで、土屋医師は、原告重高に対し、CTスキャン検査結果や脳血管撮影の結果を示しながら、薫の病態について説明し、脳室ドレナージ手術を実施することについての同意を求めた。

その際、土屋医師は、薫の病態について説明すると共に、脳動脈瘤の一般的説明並びに最終的に根治手術である脳動脈瘤のクリッピング手術をすれば救命は可能であることや現在は根治手術の適応期でないこと及びこのまま放置すれば急性閉塞性水頭症による頭蓋内圧進により二、三日以内に死亡する危険があり、脳室ドレナージ手術は、最低限行わなければならないこと等を相当詳細に説明した。

原告重高は、その際、いずれにしても脳に対する外科的手術をすることに漫然とした不安を覚え、土屋医師に手術しないで薫の疾病を直す方法はないかと重ねて尋ねたが、内科的治療方法では救命できないとの回答を受けて土屋医師の申出に同意した。しかし、原告重高は薫が重篤な状態に陥っていること等により、やや混乱しており脳室ドレナージ手術と根治手術の関係を十分理解できず、当日実施予定の手術を行えば、後日改めて手術をすることなく薫は治癒に向かうものと誤信していた。

(6) 土屋医師は、薫に対し同日午後一時半ころから脳室ドレナージ手術を実施したうえ、薫を絶対安静にし、酸素テントを使用して酸素を投与すると共に、栄養及び水分補給のため全身輸液、脳浮腫の予防・治療として副腎皮質ホルモン、止血発作の予防・治療として止血剤、脳代謝賦活剤、抗生物質を投与するという薬物療法を継続しながら薫の全身状態の改善を待つこととした。

(7) 右脳室ドレナージ手術実施後、第三回目の発作までの薫の症状の経過等は次のとおりであり、結局薫は、脳室ドレナージ手術実施後八月二五日ころまでは改善傾向にあったものの、最も病態が良かった時でも、せいぜい傾眠状態で左片麻痺(特に左下肢)が残り、そのときの状態もグレードⅣあるいはグレードⅢとグレードⅣの間程度であった。

① 薫の意識状態は、同月二〇日以降若干の改善傾向を示した。

すなわち、同月二〇日の意識レベルは昏迷(質問に対し緩慢に反応する。目を開け、手を握れ、貴方の名前は、等の簡単な質問に答える程度の状態をいう。)で、強く呼ぶと目を開ける程度となり、手を握れとの医師の命令に答えることができたが、右上下肢に比して左はわずかな動きしかなかった。薫の翌二一日の意識レベルは傾眠(質問には正しくゆっくり反応するがそれ以外の時はうつらうつらしている状態をいう。)状態であり、左上肢も握ったりする動きがみられたが、左下肢の動きは少なかった。翌二二日の意識レベルも傾眠であり、薫は反応はよくなったものの、知人の識別はできず、自己の年齢についても正しく返答できなかった。また、薫は、流動食を誤飲なく経口摂取でき、「もっとあっさりしたものが飲みたい」と発語したこともあった。同日土屋医師は薫のCTスキャン検査を実施して脳室拡大傾向の低下を認めた。翌二三日の薫の意識状態は前日とほぼ同様であったが、左下肢の自動運動はできず、流動食も少量しか摂取しなかった。翌二四日の薫の意識レベルは昏迷で、簡単な命令には応ずるが、左片麻痺があり、左チャドック反射(正常では出現しないで錐体路障害のある場合に出現する病的反射の一つ。ハンマーの柄などで足の外果の下部を外果に沿ってこすると、陽性なら母趾の背屈が起こる。)があった。薫は、同日、林檎汁を約一六〇(cc)摂取し、夕方、初めて付添人に「おばちゃん、えらいね。」と話かけたこともあったがそれがどの程度の理解に基づいてなされた発語であるかは不明である。また、同日土屋医師により実施された脳血管撮影(右頸動脈造影)によると脳血管れん縮がみられた。

② 土屋医師は、脳室ドレナージ手術後約二週間程度経過すれば薫の病態は、後記クモ膜下出血の症状分類のグレードⅡまではいかなくともそれに近い状態になる見込みはあると思料し、また、当時統計的に二週間以内の脳血管れん縮の発生頻度が高いとの認識に基づき、更には薫の病態の変化を踏まえ八月三一日ころを根治手術実施の目処と考え、原告重高に対し、同月二五日ころ、順調に経過すれば、同月三一日ころに薫の根治手術をする旨伝えた。

③ しかし、同月二六日ないし二七日ころから、薫の意識レベルは低下の傾向を示し、昏迷ないし昏迷と半昏睡の中間程度となり、呼びかけても目を開けないこともあった。

同月二九日には、土屋医師は、根治手術に備え、かつ薫の意識レベル低下の原因解明のため左内頸動脈の血管撮影を行ったところ、左内頸動脈系にも中程度の脳血管れん縮を認め、また、肺炎その他の合併症による全身状態の悪化の可能性が未だ少ない薫の五三歳という年齢及び血圧も安定し異常興奮もないという状況から直ちに手術を実施する必要はなく、より理想的な状態になるまで待機することが妥当と判断し、近日中の根治手術実施を断念した。

そして、そのころ原告重高にもその旨が看護婦を通じて知らされた。

④ 同月二九日から九月五日ころの薫の病態は、ほぼ昏迷状態が継続しており、その間八月三一日には、左片麻痺、チャドック反射がみられ、同日午前中、薫は呼掛けに対し、弱く「アイ」と発語したことはあったものの、午後は呼掛けにも反応しない状態であった。また、九月に入り顔面の浮腫が見られるようになった。

薫の意識状態は九月六日にやや改善の傾向がみられたが、翌七日には再び悪化し、半昏睡から昏迷の中間状態となり、左片麻痺、左チャドック反射が見られ、その後も昏迷状態が継続した。

⑤ 同月一〇日、土屋医師は、薫の脳室ドレナージが長期に及んだため、脳室内感染の危険を防止するため、流失髄液量が一日一〇〇(cc)程度に減少したこと、二四時間のドレナージ閉鎖後も特に髄液圧の上昇が見られないことを確認した後、抜去した。

⑥ 同月一二日の朝から薫は嘔吐を始めたため、頭蓋内圧亢進症状と判断した土屋医師は、脳圧降下剤(フルクトンM3)の点滴投与を実施し、嘔吐は消失した。

同月一三日、土屋医師は、薫のCTスキャン検査により前記脳室ドレナージ抜去に伴い予想された脳室拡大の所見を発見し、同月一四日、薫に対し再度脳室ドレナージ手術を実施した。

(三)  第三回目の発作と死亡に至る経緯

薫は昏蒙状態のまま推移していたところ、九月一六日の夜一〇時ころ、突然脳室ドレナージ管から多量の鮮血が流出し、同時に薫は深昏睡状態に陥り、血圧も下降した。右連絡を受けて薫を診療した土屋医師は脳動脈瘤破裂による病状極めて重篤と判断し、各種の応急措置のほか気管内挿管、レサシバッグ及びレスピレーターの装着による人工呼吸、心臓マッサージ等の蘇生法を試みたがその効なく、薫は同日午前零時一〇分死亡した。

(四)  土屋医師の原告らへの説明と原告重高の診療方針についての希望

土屋医師は、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の患者の経過には種々の場合があり、根治手術の待機中に再破裂を起こしたり、脳血管れん縮で死亡する例がある等一般人には馴染にくい病的経過をとることを踏まえて、前記脳室ドレナージ手術を実施する前に原告重高らに対し行った説明に加えてその後も、①薫に対しては根治手術を実施する必要があること、②その手術時期は薫の重篤な全身状態が改善するまで待機する必要があること等を何度も説明した。

これに対し、薫の病状を案じる原告重高は、脳室ドレナージ手術の実施自体についてもまだ十分確立されていない療法ではないか等の疑問を抱いており、土屋医師に根治手術以外に方法がないのか、内科的療法で救命できるのではないか、右手術は未だ研究段階のものではないかといった趣旨の質問を繰り返し行い、土屋医師の救命には根治手術以外なく、これは今日確立された手術であるとの説明を受けて一旦納得したかの態度をとるが後日、再び同様の質問を繰り返すというやや混乱した態度をとっていた。

また、原告重高は右のとおり基本的に外科的手術に不安を抱き内科的療法を希望しながら、一方で昭和五二年九月五日ころには薫の身体が弱っていくのではないかと案じて一旦、土屋医師に対し直ちに根治手術を一か八かで実施して欲しい旨を要請したこともあった。これに対し土屋医師はその当時の薫の全身状態等に照らし、今は手術の適応ではなく、また発作後二週間を経過すれば再破裂の危険性は統計上減少すること、一か月半程度待機して症状が改善し、その結果根治手術が成功した例等をも十分考慮して手術を焦った結果は死亡や植物人間となる結果を生むことから「忍の一字」で症状が改善し救命の可能性が高くなるまで待機することが必要である旨を原告重高に説明した。

原告重高もこれを一応納得し、その後、根治手術の実施を求めることはなかった。

土屋医師は、原告重高の前記一連の遅疑逡巡は同原告の最愛の妻が生命の危険もある重篤な状態に陥って混乱しているためであり、これもやむを得ないことと考えたが、他方、原告重高は薫の診療の方針決定等に関して直接十分な判断をなし得る状態ではなく、同原告以外の患者側で冷静な判断を下し得る状態にある人物に前記治療方針等を説明する必要があると判断して、薫の兄弟に集まってもらってこれについて説明したこともあった。

以上のとおり、原告重高の薫の診療方針に対する希望は、基本的に外科的手術を実施せず、何とか内科的治療で対処して欲しいというものであった。

(五)  本訴提起の事情

薫の死亡に納得のいかなかった原告重高は、被告相模に対し、昭和五三年六月七日付書面で薫の診療についての問い合わせをする一方で、土屋医師宛にも薫の病状、土屋医師の治療等についての同日付照会状を送付して回答を求めそれぞれ回答を得たうえ、更に昭和五四年三月一六日付の書面で京都大学医学部脳神経外科半田肇教授に対し、被告済生会の薫への治療について医学的審査を依頼した。

その結果同教授は、済生会病院における薫の診療録、脳血管連続写真のレントゲンフィルム等を検討して、昭和五五年五月二日付書面で結論的に要旨「済生会病院における薫の医療内容に誤りがあったとは全く考えられず、むしろ理想に近い処置が行われたにもかかわらず、不幸にも薫は死亡したと判定せざるを得ない」という審査意見を回答したが、原告らはこれらに納得できず本件訴訟に至った。

三次に薫が罹患していた脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血についての医学上の知見等について検討することとする。

〈証拠〉を総合すれば次の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  クモ膜下出血の概念・症状等

クモ膜下出血とは、クモ膜下腔に出血を来して脳脊髄液に血液が混入した状態を称するが、その原因の多くは、脳動脈瘤(先天性その他の原因で脳動脈が瘤状に膨隆したもの。)が突発的に破裂することによるものである。そして、脳動脈瘤破裂によるものの発生頻度が高いのは、四〇歳代から五〇歳代といわれる。

クモ膜下出血の臨床症状としては、急激なしかも激しい頭痛が特徴であり、この場合一過性に意識消失を伴うこともある。また、項部痛や出血による脳髄膜刺激症状としての項部硬直、ケルニッヒ症状(患者の下肢を伸ばしたまま上にあげて躯幹に近づけると、痛みのため顔をしかめ反射的に下肢が膝関節で屈折する現象)も高率にみられ、嘔心・嘔吐、けいれん等が発症することがある。これらの症状の発現率は頭痛は一〇〇パーセント、嘔心・嘔吐は約五〇パーセント、意識障害五〇ないし八〇パーセント(昏睡三〇パーセント)、けいれん五ないし二五パーセントである。

したがって、症状が定型的な場合はクモ膜下出血の診断はさほど困難ではないが、患者が昏睡状態であるような場合、しかも発病の起こり方やその後の経過のはっきりしない場合は他の脳卒中症(ことに脳出血)や種々の髄膜炎などとの鑑別が困難な場合もある。

クモ膜下出血の原因である脳動脈瘤の破裂の確認手段としては、脳血管撮影(脳へ通ずる左右二本の頸動脈と左右二本の椎骨動脈の四本について行うのが確実である。)、CTスキャン検査、腰椎穿刺による髄液検査(クモ膜下出血が発症している場合は、髄液に血液が混入し、上澄みにキサントクロミーが見られる。)がある。

2  脳動脈瘤患者の症状分類

脳動脈瘤破裂患者の臨床症状の程度についてはハントとヘスによる症状分類によって分類、理解されることが多く、その内容は次のとおりである。

グレード0  未破裂例

グレードⅠ  意識清明で神経症候(局所的な脳神経麻痺以外)のないもの。またはあってもせいぜい軽微な頭痛や軽度の項部硬直の程度のもの。

グレードⅠa  急性期症状はなく神経症候の固定しているもの。

グレードⅡ  意識清明で、中等度ないし重篤な頭痛と項部硬直はあるが、しかし神経症候(脳神経麻痺以外の)を欠くもの。

グレードⅢ  傾眠、混乱状態の意識障害のあるもの、または軽度な局所神経障害のあるもの。

グレードⅣ  昏迷程度の意識障害、中等度ないし重篤な半身麻痺、ときに初期の除脳硬縮及び自律神経障害のあるもの。

グレードⅤ  昏睡、除脳硬縮、瀕死状態のもの。

高血圧、糖尿病、高度の動脈硬化、慢性疾患などの全身疾患があるか、脳血管撮影で高度の脳血管れん縮が発見されれば、グレードを一つ悪い方にずらす。

3  脳動脈瘤の再破裂、脳血管れん縮の問題

脳動脈瘤の第一回の破裂により数時間で死亡するもの(約一五パーセントの患者が第一回目の破裂で死亡するといわれる。)から、意識喪失を来さず、頭痛その他の症状も日を追って軽快するものまで種々あるが、一旦出血が止まっても二週間ないし四週間以内に再破裂を起こす例が多く、再破裂による死亡率は四〇パーセント以上に達し、更に破裂の回数を重ねるほど死亡の危険は増大する。そして全死亡のほぼ半数は破裂後二週間以内である。

また、脳動脈瘤の破裂後に脳血管のれん縮(脳の血管がけいれんを起こし、血管が押し縮められたように細くなる状態。)を来す場合も多く、その発生率は四〇ないし五〇パーセントとされ、その発生の時期については各種の見解があるが、三日後から一〇日後まで位の間の発症の可能性が高く、破裂後二週間経過すると発生率は低くなるといわれている。また、手術操作は右れん縮の誘因ないし増悪の因子となり得るといわれている。脳血管れん縮の原因については未だ定説はなく、血管内膜が破れたための刺激によるとかクモ膜下に流出した血液中の血管収縮物質によるといわれている。

脳血管れん縮の結果としてその程度に応じて脳の血流低下が起こり、重症になると広範な脳梗塞を来し、麻痺などの後遺症を残したり、いわゆる植物状態や死亡に至ることも多い。

4  手術の適応・時期の問題

そこで、クモ膜下出血に対しては、開頭の上、顕微鏡下に動脈瘤に対しクリッピング(脳動脈瘤の頸部に特殊なクリップをかける術式)等を行って、血流が動脈瘤に流入するのを防止してその再破裂の危険を除くと共に、脳血管れん縮の防止のため、クモ膜下腔の血腫を洗浄、除去する手術(根治手術)が有効かつ必要との見解が少なくとも昭和四〇年代後半から支配的となり、その当時から脳神経外科の専門病院では右手術は広く実施されていた。

しかし、手術の時期については、次のとおり困難な問題がある。

一般に脳動脈瘤破裂発作直後の急性期は、患者の意識障害も強く一般状態も悪いことが多く、その時期の手術成績は良好でない(患者の死亡例や重篤な後遺症を残すことも多い。)のに対し、対処療法によって患者の種々の症状が改善してから行う手術の方が成績は良好である。他方、脳動脈瘤の再破裂はいつ起こるかも知れず再出血防止のためにはできるだけ早期に手術を行う必要があり、更に待機中の再出血の予防は確実に行うことができない。

そこで手術の時期については以下のとおり見解が分かれている。

第一は、重篤度の如何を問わず、原則として早期に手術を行うこと(いわゆる超早期手術)を支持する立場であり、その理由として、脳動脈瘤はいつ破裂するか不明であるから一刻も早く手術することが必要であること、待機期間中の再出血の予防が確実に行い得ないこと、出血後速やかに破裂脳動脈瘤を処置し、更に脳血管れん縮誘発物質が含まれていると思われる血性髄液や血腫を洗浄ないし排除することにより脳血管れん縮を予防なしい軽減することができること等を挙げる。第二は、重篤度に応じ早期又は晩期のいずれかを適宜選択する立場であり、第三は、重篤度の如何を問わず原則として晩期手術を行ういわゆる「意図的晩期手術」を支持する立場であり、その理由として脳動脈瘤破裂による脳損傷や脳血管れん縮によって惹起される脳浮腫、脳梗塞が落ち着いた時期に実施する手術の方が、手術時における安全性も確保され、手術成績も良好となること等を挙げる。

昭和五二年当時においては基本的には、上記第二の立場の内、①前記グレードⅠないしⅡは手術適応。②グレードⅢの例では症状が多少とも軽減の傾向をみせるものでは手術を行う。③グレードⅣからⅤは手術死亡例が高く、脳内血腫例を除いて不適応(グレードⅢ以内に改善するまで患者を安静にさせ脳浮腫予防治療剤や止血剤等の各種薬物を投与する等の保存的療法を行い、手術を待機する。)とする見解(以下「昭和五二年当時の中心的見解」という。)が中心的立場を占めており、多くの一線医療機関でこれに従った手術が実施されていた。そして、グレードの如何を問わず早期手術をするという第一の立場は、浜松医療センター脳神経外科等の医療施設でこれに従った超早期手術が現実に行われてはいたものの、昭和五二年当時は、ごく小数の者の支持しかなかった。

右脳動脈瘤の手術時期を巡る問題は世界的な論題であり、未だ定説を得られていないが、現在においては早期手術を支持する立場が有力となっている状況である。

5  土屋医師の脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の根治手術の時期についての見解

土屋医師は、薫の診療の際、脳動脈瘤の手術時期については前記の多くの医療機関で選択されていた昭和五二年当時の中心的見解と同じ意見を持っており(これは済生会病院脳神経外科全体の意見でもあった。)、したがって、本件薫のようにグレードⅣ以上の例ではグレードの改善するまで待機して根治手術を行うのが妥当であるとの立場で診療を行った。

なお、〈証拠〉(昭和五三年四月六日付福井新聞)には、「成人病の常識を再点検しよう」との欄に土屋医師が執筆した「脳卒中の診断と治療」について、「超早期手術で助かる」との見出しが掲げられている。

しかし、〈証拠〉によれば、右「超早期手術で助かる」との見出しは新聞社がつけたものであることが認められるうえ、右記事は、高血圧性脳内出血、クモ膜下出血、脳梗塞等の脳血管障害全体を示す概念である「脳卒中」(何らかの原因により脳血管に破綻を来し、突然意識障害その他神経学的異常を来した状態をいう。)全体について、従来の「倒れたら動かすな」との考えに代表される消極的治療方法は、脳疾患の診断にCTスキャン等の新しい検査方法が導入された現在(当時)では変革されるべきであるとの啓蒙を行う趣旨の内容であるにすぎないことは明らかである。そして、右記事は、脳卒中の中でも約半数を占める高血圧性脳出血に中心的焦点を当てたものであって、クモ膜下出血については右記事の中で「このほかに、脳の動脈にできたコブ(動脈瘤)が破れてできるクモ膜下出血の場合でも、手術用顕微鏡の使用により、安全な手術ができるようになっています。」と記載されているに過ぎず、結局、右記事をもって、土屋医師の昭和五二年当時の手術時期に対する見解の認定を左右することはできない。

四右に判示したことを前提に請求の原因3(被告相模の責任)について判断する。

1  請求の原因3(一)の事実(診療契約の締結等)は、原告らと被告相模との間で争いがない。

2 薫が、昭和五二年七月二五日の夕食後、畑仕事の最中に突然、激しい頭痛に襲われ、立ち眩み状態になると共に嘔吐してその場にうずくまっていたことは前記認定のとおりであるところ、その後薫の死亡に至までの経過(前記二1、2(一)ないし(三)に判示のとおり)に照らすと、これは脳動脈瘤破裂の第一回の発作を起こしたことによるものであって、薫の疾病は脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血であると認めるのが相当である。

右に関し、被告相模本人は、薫は被告相模への通院時、頭痛を訴えておらず、それ故に診療録(〈証拠〉)にもその記載がなく(同号証には、傷病名として「急性胃腸炎。昭和五二年七月二五日(診療)開始。」、「頸腕症候群。同月二九日(診療)開始。」と記載され、同月二五日の薫の初診時の既往歴・原因・主要症状等の欄には「Erbrechen(嘔吐の意)、いかを食して」との記載の外に血圧測定の結果が記載してあるだけであり、その後の薫の通院の際にも同欄には「Erbrechen」と血圧測定の結果が記載されているにすぎない。)、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血を疑うべき症状は全くなかった旨を、更に、同被告は、第一線で脳動脈瘤破裂を含む脳出血の患者を年間五、六十件診療しており、クモ膜下出血を含む脳出血とそれ以外の疾病との区別は容易につけられ、当時同被告が診療した薫には嘔吐の症状はあったが、それは脳出血によるものではなく同被告の診断のとおり胃腸炎によるものである旨をるる供述する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、一般の開業医では脳出血の患者を診療するのはせいぜい年間四、五例であること(また、〈証拠〉によれば、当時、福井県内で数少ない脳神経外科の医長である土屋医師においても脳出血の内、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の症例ではあるが、それは年間四、五十件であることが認められる。)、また、一般開業医では患者の訴える症状をすべて診療録に記載するものではなく自己が主体と思った症状のみを一、二行しか記載しない例も多いことが認められること、また、被告相模は本人尋問の際においてすら、例えば、クモ膜下出血の臨床症状の一つであるケルニッヒ症状等を説明できないのみならず、クモ膜下出血の確定診断方法の一つである腰椎穿刺をもってクモ膜下出血の場合行ってはならないのが医学常識である等と供述するなど脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血についての医学上の知見について十分な理解を有していたか疑問の存することなどの諸事情にかんがみると、前記被告相模本人の供述は措信するに足りず、前記薫の診療録(〈証拠〉)の記載も、薫の頭痛の訴えを軽視し、薫の疾病は胃腸炎であると速断してこれに合致する症状のみを取り上げてなされたものにすぎないことが窺われるから、薫の疾病に関する前示判断を左右することはできない。したがって、被告相模の胃腸炎との診断は誤診といわざるをえない。

3  そこで、次に被告相模の誤診が、昭和五二年当時の一般開業医の水準でやむを得ないものであったか、換言すれば被告相模に過失があったかについて判断する。

薫の診療を引受けた被告相模としては、薫の症状の原因につき的確な診断をし、これに対する適切な治療を行い、また必要に応じて他の適当な病院に転送すべき診療上の注意義務を有すると解せられる(右一般的注意義務を有すること自体は、被告相模も争わない。)。

薫は昭和五二年七月二五日夜嘔吐及び頭痛を訴えて被告相模の診療を受けたことは前示のとおりであるが、〈証拠〉によると、右症状の原因としては風邪、食あたり、脳内疾患等諸々の疾病が考えられるというのであるから、被告相模としては薫の病歴や右症状発現に至った経緯について十分問診するとともに諸検査をして、できるだけ当該症状の原因として可能性のある疾病を特定するよう務めるべきであり、これを尽くしておれば、前示のとおり薫の右各症状が右受診当日の夜畑仕事の最中突然発現するに至ったものであることを認識することができたはずであり、そうであれば、右各症状が脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の典型的症状であることからして、初診時若しくは遅くとも後日の診療の過程においてこれを疑い、少なくとも脳内疾患の疑いを持ってしかるべきものであったというべきである。この点に関し、被告相模において、当時の患者の症状にかんがみ、脳内出血の疑いをさし挟む余地がなく、むしろ医学的にこれを否定しうる根拠を有した旨供述するところは、爾余の関係各証拠に照らして到底首肯できず、結局、本件全証拠を検討するも、当時右疑いを否定しうる医学上の合理的根拠が存したことを見い出すことはできない。

しかるに、被告相模は薫の嘔吐の症状のみに気を奪われ漫然と胃腸炎と速断してその治療に専念した経緯がうかがわれるのであるから、この診断の誤りは医師として前示注意義務に違反しているというほかない。なお、〈証拠〉によると、頭痛症状を原因とする疾病のうち、クモ膜下出血の占める割合は数パーセントにすぎないことなどから、昭和五二年当時の一般開業医の間では軽症のクモ膜下出血の診断は必ずしも容易ではかったことも認められるけれども、かような診断の困難性をもってしても、本件の前記認定事実のもとでは、未だ被告相模の前示過失の判断を左右することはできない。

そして、被告相模において薫の疾病につき前示のとおりの疑いをもってその診療をしておれば、前示症状のほかクモ膜下出血の臨床症状としての項部痛、ケルニッヒ症状及び意識障害等の有無、程度について所見を得ることは可能であり、またクモ膜下出血の原因である脳動脈瘤破裂の確認手段の一つである腰椎穿刺による髄液検査の施行も可能であったことが〈証拠〉によっても認められる。しかも、脳動脈瘤の破裂を原因とするクモ膜下出血に対しては外科的な根治手術が有効かつ必要であるところ、〈証拠〉によると、同被告は従前から右のような外科的手術を適応とする患者については福井県立病院脳神経外科に転送しているというのであるから、かような転送も十分可能であって、結局、薫に対しその根治手術の機会を早期に与えることができたものであることが認められ、これに反する証拠はない。

五次に前記三までの判示を踏まえ、被告済生会の主位的責任について検討する。

1  請求の原因4(一)の事実(準委任契約の締結と被告済生会の使用者の立場)は、原告らと被告済生会との間で争いがない。

2  次に同4(二)(1)(緊急医療上の過失)について検討する。

(一)  脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れた場合、早期診断・早期診療が極めて重要であることは当事者間に争いがない。

そして、済生会病院へ搬入当時の意識がなく痛覚反応もなく失禁があった等の前記状況に照らすとそのグレードはすくなくともⅣであったことが認められるところ、当時、被告済生会においては脳動脈瘤に対する根治手術の時期としては前記昭和五二年当時の中心的見解(薫の症状であるグレードⅣ以上の場合は諸症状が改善するまで待機して根治手術を実施する立場)をとっていたことは前記認定のとおりである。

(二)  なるほど、特に脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血を含む脳内疾患の場合、直ちに脳神経外科医が診療に当たることは一般に望ましいことであるが、右クモ膜下出血の患者に対し待機手術の立場をとる以上、その療法については、前記のとおり患者を安静にさせ脳浮腫予防治療剤や止血剤等の各種薬物を投与する等の保存的療法をとらざるを得ず、これは内科医が行う場合と脳神経外科医が行う場合とで基本的に差異はないものである。

そして、済生会病院に搬入されて翌日脳神経外科医の土屋医師の診療を受けるまでに薫に対し当直医の指示のもと実施された処置が、輸液路の確保、膀胱内への留置カーテル挿入、酸素投与、輸液実施及び副腎皮質ホルモン剤(ソルコーテフ)・脳代謝賦活剤の投与等であることは前記認定のとおりであり、右一連の処置に特段不適切な点を認めることはできない(脳浮腫の治療薬としてマンニトールを使用していないことが薫の病態を悪化させたものと認めるに足りない。)。

また、脳室ドレナージ手術の実施の遅れを原告らは問責するが、なるほど薫の急性閉塞性水頭症が増悪しつつあったのは前記認定のとおりであるが、土屋医師が最初に薫を診療した際にも直ちに脳室ドレナージを実施しなければならない急迫な状況にあったものではなく二、三日放置すれば生命への危険があるという状態であったものであることは前記認定のとおりである。その他脳室ドレナージ手術実施が薫の済生会病院搬入直後に行われず翌日行われたことが、その後薫の病態に悪影響を与えたことを認めるに足りる証拠はない。

なお、薫が済生会病院へ搬入されてから翌日土屋医師の診療を受けるまでの間の当直医の診療録は被告済生会から提出されていない(右診療録は作成されなかったものと推認される。)が、右期間の薫に対する診療経過については、看護記録(〈証拠〉)や当直医の指示に基づく治療・投薬の事実が記載された三測表(〈証拠〉)は存在するうえ、これらの証拠や土屋医師の証言等によって右のとおり認定が可能なものであるから原告らの証明妨害の主張は採用できない。

3  次に同4(二)(2)(根治手術を実施しなかった過失)について検討する。

(一)  超早期手術を選択しなかった過失について

土屋医師が、薫の診療を開始した際の薫の前記病態に照らすと、そのグレードはⅣ以上と認めるのが相当であるところ、同医師は薫の意識状態・全身状態の改善を待って根治手術を実施しようとしていたことは前記認定のとおりである。

そして、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の根治手術の実施時期については困難な問題があり、現在においても意見の一致を見ていないことは前判示のとおりであって、根治手術の時期の選択は原則として患者を実際に診療している当該医師の裁量に委ねられるべき問題というべきところ、当時の薫の病態に対し土屋医師が選択した待機手術の方法は昭和五二年当時の中心的見解に沿うものであることは前判示のとおりであり、その他前記認定の薫の年齢、全身状態等一切の事情に照らしても、右土屋医師の待機手術の選択が何ら非難に値するものではないことは明らかである。

(二)  昭和五二年八月二一日から二四日の全身状態の改善があった時に根治手術を実施しなかった過失について

薫は脳室ドレナージ手術実施後の昭和五二年八月二〇日から二五日ころまで意識状態等は改善方向にあったことは前記認定のとおりであり、事後的にみれば済生会病院搬入後死亡に至るまでの期間、最も状態の良かった時期は、昭和五二年八月二一日から二四日にかけてであったということはできる。

しかし、最も状態の良かった右時期においても薫はせいぜい傾眠状態で、頭痛があり、左片麻痺が存在する等グレードⅣあるいはせいぜいグレードⅣとグレードⅢの間程度にしか回復しなかったものであること及び脳動脈瘤破裂発作後、三日から一〇日の間は脳血管れん縮の起きる可能性が高いことは前記認定のとおりである。

このようにグレードの改善がほとんどなく、かつ、脳血管れん縮の起こり易い右二一日から二四日の間に根治手術を断行した場合にはその手術死亡ないし重篤な後遺症を残す可能性は極めて高かったということができる。更に、薫の年齢や血圧の安定、興奮状態がない前記状況を踏まえ、より根治手術に適したグレードの改善があるまで待機するとの判断には合理性があるといい得る。

以上のとおり土屋医師の根治手術実施時期についての判断には合理性が認められ、この判断に過失があったということは到底できない。

4  以上のとおりであって、原告らの被告済生会に対する主位的請求はその余の点について判断を進めるまでもなく理由がないことに帰する。

六次に、請求の原因5(被告済生会の予備的責任)について検討する。

1  被告済生会(具体的には同被告の履行補助者としての土屋医師)が、薫との診療契約(準委任契約)上の義務として薫(ないしその家族)に説明義務を負っていること、また、土屋医師が一旦八月三一日ころ実施する予定であることを原告重高に告げたが、結局薫の根治手術が実施されなかったことは当事者間に争いがなく、土屋医師が薫の脳室ドレナージ手術を実施する前に最終的に根治手術を実施すれば薫の救命は可能である旨を説明したことは前記認定のとおりである。

2 しかし、土屋医師の原告重高らに対する薫の病態やその診療方針(特に根治手術の適応及び時期)についての説明については、前記判示(二2(四)参照。)のとおりであって、これに照らすと原告らの十分な説明がなされなかったとの主張を認めることはできず、むしろ、土屋医師は医師として説明義務を尽くしていたものと評価するのが相当である。

3  次に、原告らの自己決定権の侵害についての主張について判断する。

原告らの主張は要するに、薫の診療について土屋医師は保存的療法をとるべきではなく、患者側である原告重高の根治手術断行の選択に従うべきであったと主張するものである。

なるほど原告重高が昭和五二年九月五日ころ根治手術を一か八かで断行して欲しいと土屋医師に申し入れたことは前記認定のとおりであるが、これは一時的な申入というべきであって(原告重高本人自身、右申入の後は根治手術実施を求めなかった旨を供述している。)、原告重高が薫の診療方針として、外科的手術に疑問を持ち、むしろ基本的に内科的療法を希望していたことは前記認定のとおりである。

そうとすれば、原告重高は、薫に対する療法について一貫して根治手術実施を希望していたものではなく、その意見は遅疑逡巡しており、一時的に一か八かで根治手術の断行を口にしたこともあったが、脳に対する外科的手術への不安感を払拭できず、基本的には内科的療法を希望していたものであって、九月五日の根治手術実施の申入は、原告ら主張のように確固たる自己決定権の行使と言い得るようなものではなかったものであり、この点で原告らの主張は前提を欠くものといわざるを得ない。

更に加えて、九月五日ころの原告重高の根治手術断行の申入を自己決定権の行使と仮定した場合においても、当時の薫の病態は昏迷状態で左片麻痺があり、顔面の浮腫も見られる等の重篤な状態であったこと、また薫の病態が改善する可能性も否定できなかったこと、更にこのような病態のもとで薫に根治手術を断行すれば一般的にその成功率は低く、死亡ないしは植物人間等の重篤な後遺症を残す可能性が極めて強いことが予測される状況であったことは前説示のとおりである。

そして、かかる状況のもとで医師が自己の信念に従った診療(グレードの改善を待っての根治手術実施)をしている場合、患者側は医師に対し一か八かの極めて成功率の低い手術の強行を求めることは、患者の自己決定権の適正な行使とは到底いえないし、更にかかる要求に従わない医師ないし医療機関をして診療契約上の義務違反としてこれを問責し、損害賠償の責を負わせるがごとき見解には当裁判所は到底左袒できない。

なお、済生会病院で診療中の薫の前記病態等に照らすと、薫を同病院から他の医療機関へ転医させることは薫の生命への危険を伴うものというべきであって、本件においては転医の適応はなかったというべきである。

4  以上のとおりであって、原告らの被告済生会に対する予備的請求はその余の点について判断を進めるまでもなく失当たるを免れない。

七次に、被告相模が負担すべき原告らの損害(請求の原因6)について検討する。

1  被告相模の不法行為若しくは債務不履行と薫の死亡との因果関係

(一)  本件においては被告相模が第一回の脳動脈瘤破裂発作を起こした薫を脳神経外科専門の医療機関へ転医させ、第二回発作が起こる前のグレードの良い状態で根治手術を受けさせていれば薫は死亡を回避し社会復帰を為し得たか否かが問題であるところ、被告相模において薫を脳神経外科専門の医療機関に転送しえたことは前示のとおりである。そこで、すすんで、根治手術によってどの程度の救命ないし社会復帰の蓋然性があったか、右機関に根治手術の機会を与えなかったことにより右蓋然性が具体的にどの程度失われたかを検討する。

薫は被告相模への通院時、意識清明であり、徐々に頭痛も薄らぎ、昭和五二年八月からは勤務を再開していたことは前記認定のとおりであり、右薫の状態に照らせば第二回発作が起こる前の薫のグレードはⅠまで回復していたものということができる。

(二)  そこで、当裁判所に各当事者から提出された各証拠(文献)中のグレードに応じた根治手術の救命率(死亡率)・社会復帰率を数字上明確にしているものを掲げると次のとおりである(本件に直接関係するグレードⅠを中心として掲げる。)。

(1) 〈証拠〉に記載された浜松医療センター脳神経外科における脳動脈瘤破裂症例の入院時グレードと転帰の関係(発作後二四時間以内容例)

① 昭和四八年一月から昭和五一年一二月にかけてのグレードⅠの症例一件で手術後社会復帰

② 昭和五二年一月から昭和五四年一〇月まで手術例二件で内一件社会復帰、一件家庭内自立

(2) 〈証拠〉に記載された京都大学脳神経外科半田肇教授によるハントらによる研究の報告

グレードⅠ及びⅡの手術死亡率はそれぞれ4.15パーセント

(3) 〈証拠〉に記載された厚生省特定疾患脳脊髄血管異常研究班が集計した昭和四九年一月から昭和五〇年一二月までの全国主要脳神経外科施設(一一四施設)における出血発作後一週間以内に入院した脳動脈瘤破裂症例の手術成績についての順天堂大学医学部教授石井昌三教授らの紹介

手術時のグレードⅠ、Ⅰa、Ⅱの全症例四八五件の内生存例は四二四件、就業可能になったのは三二一件(六六パーセント。なお、同号証表3に示めされた就業率は、手術生存例の内の割合であって、全手術例に対する割合ではない。)、手術死亡は六一件(12.6パーセント)である。

これらの内①出血発作後二週間以内に実施された手術例は二八五件、この内生存例は二三九件、就業可能は一六七件(58.6パーセント)、手術死亡は四六件(16.1パーセント)であり、②出血発作後二週間経過した後に実施された手術例は二〇〇件、内生存例一八五件、就業可能一五四件(七七パーセント)、手術死亡一五件(7.5パーセント)である。

(4) 〈証拠〉に記載された順天堂大学医学部脳神経外科及びその関連一〇施設において出血発作後一週間以内に入院した脳動脈瘤破裂症例の昭和五四年一二月までの過去八年間の手術成績

手術時のグレードⅠ、Ⅰa、Ⅱの全症例二一一件この内生存例一九九件(〈証拠〉の表3の「一一九」との記載は誤記と解される。)、就業可能一八一件(85.8パーセント。なお、同表のこの部分の割合は、誤って、生存例に対するものではく、手術症例に対する割合を記載したものと解される。)、手術死亡一二件(5.7パーセント)である。

これらの内①出血発作後二週間以内に実施された手術例は四三件、この内生存例は三九件、就業可能は三五件(81.4パーセント)、手術死亡は四件(9.3パーセント。なお、同表に10.2パーセントと記載されているのは誤記と解される。)であり、②出血発作後二週間経過した後に実施された手術例は一六八件、内生存例一六〇件、就業可能一四六件(86.9パーセント)、手術死亡八件(4.8パーセント)である。

(5) 〈証拠〉に記載された虎ノ門病院脳神経外科における昭和五六年五月末日までに実施された根治手術の内グレードⅠ及びⅠa(このグレード分類はハントとコスニックの分類に基づいているが、前記ハントとヘスの分類とほぼ同じである。)の症例に関する手術結果

手術例二九四件中手術死亡五件(手術死亡率1.7パーセント)であり、この内①出血発作後二週間以内の早期手術例四七件で手術死亡二件(手術死亡率4.3パーセント)、②出血発作後二週間を経過した後の晩期手術二四七件で手術死亡三件(手術死亡率1.7パーセント)である。

なお、グレードⅡの場合は手術例八五件、この内手術死亡八件(9.4パーセント)である。

(三)  なお、〈証拠〉には「脳動脈瘤の破裂発作を起こした患者はクリッピング手術が成功して二〜三週間経過して治癒すれば、普通人とかわらず生活し働くことができる」旨の記載があるが、これはクリッピング手術が成功した場合のことを示すものであるうえ、患者のグレード等も判然とせず、的確な資料とはいい難い。

(四)  以上に照らすと、薫が第一回発作の後第二回発作の前に脳神経外科の診療を受け根治手術を実施されていた場合、死亡を回避し社会復帰を為し得た蓋然性はかなり高いというべきである。したがって、薫の死亡と被告相模の前判示の不法行為若しくは債務不履行との間には相当因果関係が存在すると解するのが相当である。

そして、右各数値の総合的検討(グレードⅡよりグレードⅠの場合の方が社会復帰率が高いこと、時代が新しくなればなるほど手術の成功率及び予後も向上していることは明らかである。)に加えて、薫の当時の五三歳という根治手術適応の年齢や、やや高血圧である他は健康体であったこと、前判示の軽症のクモ膜下出血の診断の相対的困難性、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血の治療については脳神経外科医の裁量に委ねられる部分が多く、その予想が困難であること、その他薫の第一回の脳動脈瘤破裂発作から死亡に至るまでの前記認定の一連の経過等を総合すれば、薫の社会復帰を阻害し死亡させたことについての被告相模の不法行為若しくは債務不履行による損害賠償の関係における起因力は少なくとも八〇パーセントを下らないものというのが相当であって、被告相模は右限度において原告らに対する損害賠償責任を免れないというべきである。

2  そこで原告らの損害(請求の原因6)について判断する。

(一)  薫の逸失利益

(1) 〈証拠〉によれば薫は昭和五二年当時国鉄職員として稼働しており、その年間所得は金三一七万三一七八円であったことが認められ、死亡当時満五三年であったことは前記判示のとおりである。そして、薫は本件がなければ六七歳まで一四年間就労が可能であり、その間右程度の収入を得ることができたと解されるところ、その五〇パーセントを生活費として控除し、ホフマン方式により中間利息を控除して算定するとその逸失利益の額は次のとおり金一六五一万四八〇四円となる。

金317万3178円×10.409×0.5=金1651万4804円(円未満切捨。以下同じ)

そして、このうち被告相模の負担すべき金額はその八〇パーセントに相当する金一三二一万一八四三円となる。

(2) 原告重高が薫の夫であること、原告行広が原告重高と薫との間の唯一の子であることは前記認定のとおりであって、原告重高は右逸失利益の三分の一である金四四〇万三九四七円の、原告行広は右逸失利益の三分の二である金八八〇万七八九五円の各損害賠償請求権を相続により取得したことが認められる。

(二)  原告らの慰藉料

前判示の被告相模の診療経過、薫の年齢、原告らとの生活関係、被告相模の過失の内容・程度及び因果関係の割合等一切の事情に照らして検討すると、薫の死亡に対する原告ら固有の慰藉料としてそれぞれ金四〇〇万円が相当である。

(三)  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば原告重高は薫の葬儀費用として少なくとも金五〇万円を支払ったことが認められるところ、この内被告相模が負担すべき金額はその八〇パーセントに該当する金四〇万円である。

(四)  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等の一切の事情に照らすと、被告相模に負担させるべき弁護士費用は金一〇〇万円をもって相当とする。そして、これは原告らの主張に従い原告重高の損害として計上する。

3  よって、原告らが主位的に不法行為に基づき、予備的に債務不履行に基づき被告相模に対し損害賠償を求めている本件では、結局右不法行為に基づく損害賠償として、被告相模は、原告重高に対し金九八〇万三九四七円、原告行広に対し金一二八〇万七八九五円及び右各金員に対する不法行為の日の後であることが明らかな昭和五二年九月一八日(薫が死亡した日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務を負うというべきである。

八結論

以上の次第で、原告らの被告相模に対する各請求は前判示の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、被告済生会に対する各請求はすべて失当であるからこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官横山義夫 裁判官黒岩巳敏 裁判官白石哲)

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